ボクダイモリ

Life is like a Game

メディアアーティスト・落合陽一が教える 情報洪水に飲まれないためのいくつかの方法 読んだ感想

以下の記事を読んで興味深い内容だったので感想書いてみる

http://noahs-ark.click/conversation1/

 

現代は情報過多な時代

 

ここでいうゾンビとは、TwitterFacebook、メディアから伝わる大量の情報によって 自分の意識や感情が薄くなっている状態のこと。

  今の時代、どこにでも情報があふれており、誰でも簡単に、そして無意識に その情報にアクセスしてしまう。

まさに大洪水(情報過多)の時代である。

 

 

この記事を読んで自分も常日頃からたくさんの情報に流されているなと改めて実感しました。 いつも自分にとって必要な情報を取捨選択してきたつもりではいたけども、 結局それは瞬間的な興味・好奇心に流されていただけなんだなと、情報に振り回されていただけなのかもしれない。

 

コンピューターが水(情報)を生んでいるんですね。洪水に飲まれてしまうと、Twitterを見ながらぼーっとしたり、ソーシャルゲームの単純作業を繰り返したり、とくにやりたいと思っていないことなのに、自分の時間をどんどん失っていきますよね。それって自分の感情や意識がない状態に近い。ゾンビみたいですよね。  

通勤途中で無意識にスマホいじり始めたりする人っていますよね。僕もやってますが。 情報に振り回されて意識がないゾンビみたいになって…通勤電車の人たちがゾンビの群れに見えそう。

 

ゾンビみたいな人にはなりたくないなー。

じゃあゾンビにならないためにはどうすればいいのかというと洪水に巻き込まれないように箱舟に乗ればいいんだそうです。

 

洪水に流されないためには、方舟に乗ってその中にこもるしか方法はない。その方舟に乗る方法のひとつとして、自分で「文脈」をつくるということがあると思います。自分で歴史を語っていくという作業です。  

記事の中で色々語っていますが、つまりは自分の中に強い芯を持つことが箱舟に乗る方法ということでしょうか。

他人や周りの情報に流されないことってなかなか難しいですよね。

 

 

そうならないために大事なことって他人の価値観に流されないこと、自分の気持ちに素直になることなんじゃないかなーと思います。

 

人間と機械の区別がつかない世界は地獄か?

 

でも、今のぼくらも、すでに人間と機械の区別がついていないかもしれない。例えば、Google検索をするとき、脳の海馬を紐解くような神経信号の伝達状態を伴いながらスマホを見ているという研究報告が以前ありました。つまりぼくらは、脳みその中を探す感覚でGoogle検索をしている。  

これは衝撃。 人間の機能、行動の一部がすでに機械に依存し始めている。

 

 

自分はいわゆる「検索世代」の人間ですがまさにGoogle検索をしているときはこんなことが起きているんだろうなー。 今後も人間の機能は機械にどんどん依存していて、人と機械の区別が付かなくなってくる。

 

人間は将来VRの中で人生の大半を暮らすようになるかもしれない。 そうなったときに人間と機械との差というのは「身体」になる。 だから人々のほとんどの欲求は身体を感じることになるのだろう。

 

また、記事の中でなんでもできるVRの空間が天国か地獄かという話も興味深い。 身体的、精神的に満たしてくれる仮想空間は理想の空間と言えるだろうか?それとも人間から現実的な自由を奪う鳥かごか。 そもそも人々が認識する現実すらも脳が勝手に認識した一つの世界にすぎないだろうからこの議論は無意味なのかもしれない。

 

 

VR世界はいつか全ての人たちの理想が叶う世界になるかもしれない。 でもそれは落合さんのおっしゃっている、麻薬に浸っているのと同じことなのかもしれない。

でもそれの何が良くないのかと問われると答えは出せない。 それでもそれを実際に体験できる世界が将来来るとしたら自分は迷わずその世界にダイブすると思う。

 

音楽コンテンツの未来について

 

本記事では音楽コンテンツの未来についても語られている。

 

音としての気持ちよさと、中毒性がある。身体的なものを求めるこれからの時代に適しているんじゃないかな。  

これは同意。

 

 

音楽って現代でも手軽に触れられるし、データ的にも軽量で扱いやすい。 身体で感じ取れるコンテンツとして優秀で将来的にも需要は増えていくんだろうなー。 ライブのような空間とも相性がいいので臨場感のあるライブはVRコンテンツの一つとして早々に活躍しそうな予感。

 

もはや現代に自由意志なんて必要ない?

 

自由意志が目覚めたのは産業革命以降。機械と人間とを比べることで、自分たちが主体的に行動できたり、意思決定できたりすることに気がついた。それゆえに、ぼくたちは機械みたいなものは人間ではないと定義しているわけです。でも、これからはどんどん機械と人間の区別がつかなくなるので、自我=身体になっていくでしょうね。  

まじか。 人間の思考ってその時代の環境とか文化とかに深く関係してるんだ。

 

 

人間が自由意志を持つようになったのは、機械という比較対象が出現したことによりそれを初めて認識するようになったから。 そして今では人は情報の検索、情報処理をコンピュータに少しずつ任せている。 それじゃあ比較対象であった機械と人間との差が小さくなっていくとどうなるのか。

 

この問題はそのような世界では自由意志かという問題に繋がっている。

 

これからはどんどん機械と人間の区別がつかなくなるので、自我=身体になっていくでしょうね。  

落合さんは記事の中でこうおっしゃっている。 人は自分の身体を感じることでのみ自分という存在を自覚するようになるのだろうか。 だとしたら人々が身体を感じるのにその人の自由意志が果たして必要だろうか。

 

 

自由意志が必要か? この問題を考えたとき最初に思い付いたのは伊藤計劃さん著作の「ハーモニー」という作品だ。

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この作品では、十分に発達した社会では自由意志が必要か?というのが一つのテーマになっている。

 

この作品から感じたことは、「自由意志が無くても人々が生きていける世界は作れるかもしれない、でもそれは人々にとって幸せなことなのか?」ということ。

自由意志が無い人、いわゆるゾンビたちでいっぱいになる社会は、優しいかもしれないけど残酷な世界だと思う。

落合さんの提唱するデジタルネイチャーが実現したとき、人々の自由意志というのはどう変化するのか。

それは最初の方で語ったゾンビを思い返すと少し想像ができるかもしれない。 将来の人々は現代のゾンビの延長線上の存在であると推測できる。

それは例えばたくさんの情報に囲まれて脳の中はマルチタスク状態の人だったり、意識や思考も浅く、表面的な意思決定を行いがちであったり。 情報に流されコンテンツを消費することだけに時間を費やしていく人たち。

 

 

うーん…自分はそうはなりたくないな(-_-;)

 

おわりに

 

この記事を読んで今の自分の置かれている状況、常にアクセスできる情報群に対しての考え方を改めさせられた。 特に情報に振り回されてしまうことへの危機感というのはものすごく感じた。 やっぱり自分は人間らしく自分の意志で生きていきたいし、情報やVRに対しては適度な距離で接していくようにしたい。

 

 

技術が進歩していくことでその社会に生きる人々の自由意志は少しずつ変容していくのだと思う。 それがどんな形に変わるのかは分からないけども、自分の意志は大事に持って行きたいと思う。

 

 

P.S. ぼくのりりっくのぼうよみさんの 「Newspeak」、すごくいい曲。TSUTAYAで借りてこよ

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